震災考 [雑感]
去年の今日、僕は地震を秋葉原でむかえた。
尋常じゃない揺れに、「ヤバいか?」と本当に思った。
その後、歩きと仲間の車を乗り継いで深夜に帰宅。
待っていたTV画面は津波の映像だった。
言葉を失うその様は、ただただ惨いだけだった。
あれから一年が経とうとしている。
一年が経つということを契機に、
また津波の映像がTVに流れるようになった。
津波の威力と恐ろしさを啓蒙する目的だそうだ。
確かに映像にはものすごい力がある。
想像を絶する自然の力が、そこに記録されている。
でもそれ、今必要なの?
まだ、被災地では満足に復興もしていないのに。
あんな凄惨な映像を、一年そこらで忘れるはずがないのに。
被害って言うのは、瞬間に存在するんじゃないと思う。
残った傷、残された遺族の思いが被害だと思う。
今日の読売新聞は第一面が写真で素晴らしかった。
時は流れない。雪のように降り積もる。
人は優しくなったか。賢くなったか。
2012/3/11 読売新聞 朝刊1面より
新聞の中には、犠牲者と遺族のコメントが載っていた。
人の悲しみや、それを乗り越える力に触れて、涙があふれた。
地震は恐い、津波も怖い。
でも泣き叫ぶ人々を見て、僕らは何を感じるのか。
地震や津波のメカニズムを解説してもらって、
たしかに理解は深まるかもしれないけど、
地震や津波を防げるわけではないんだ。
この震災で、どうにもならないことがあることを知ったんだ。
僕個人はさらに病気でも、それを思い知ったんだ。
どうにもならないことが起きるんだし、起きたんだから、
どうそれを受け入れるか、考えて行きたいんだ。
かつて自然と調和した生活を営んだ日本人なら、
きっとできるはず。
がんばろう。
優しさと、賢さを身につけて。
秋葉原にいらっしゃったとのことで、大変でしたね。
私の知人も北海道から出張中に震災にあって大変だったり、仕事をしていたときの友達も自宅まで歩いたとか…。
私は「1年前の3月11日」をアメリカで迎えまして、時差の関係で朝一の習慣のメールチェックで愕然。父から、「日本で地震が起きたけれど、実家は大丈夫」とのメールで、あわててテレビをつけたら繰り返し襲う津波の映像がアメリカの現地のテレビでも流れていました。
こちらから大量にある水や食料品を送りたくても、何も出来ない日々。義捐金を送ることしか出来ないもどかしさ。よく覚えています。
でも、娘の学校のお母さんからも義捐金を送ったよ、とか、スーパーなどでも義捐金の寄付を募ったり、こちらの企業が赤ちゃん用のミルク(すぐに飲める状態のものが売っていますが、日本では通常輸入できないもの)や洋服を送ってくれたり。一人だと小さい力だけれど、みんなで集まると大きな力になると、このときは本当に思いました。
次ぎ、誰かが必要としているときは、私も誰かの力になれたらいいな、と思ってます。
by RuriMidori (2012-03-19 10:23)
RuriMidoriさん
そうですか、アメリカにいらっしゃったんですね。
海外だと情報が偏っているでしょうし、怖い想像ばっかり膨らむので、心配になられたでしょうね。
国内にいても、いろいろ悩むことが多かったですね。
思いを行動に移せる人を尊敬します。恥ずかしながら、自分はそれほど褒められた行動は起こせませんでした。
反省ばかり残ります。
by ぱぱになったみけ (2012-03-21 19:03)